新型コロナウイルス感染に関する経済学研究の概説
2020.4.8 「コロナ危機は需要ショックなのか供給ショックなのか?」
早稲田大学政治経済学部 久保田 荘
新型コロナウイルスによる感染拡大の影響が深刻になっている中、普段は象牙の塔に籠もりがちな経済学者の中にも危機意識が急速に広がっています。 特に経済理論や詳細な統計分析を組み合わせた専門的観点からの分析を、正確かつなるべく迅速に出していく取り組みが始まっています。 例えばCovid Economics: Vetted and Real-Time Papersという学術誌が創刊され、異例の速さで研究や査読、出版のプロセスが進んでいます。 このコラムでは、新型コロナウイルス危機の経済への影響と、その考えうる政策対応について、最先端の学術的研究の一端を紹介しようと思います。
コロナ危機に対して、景気対策を行うことの重要性が叫ばれています。金融財政政策の効果をマクロ経済レベルで考えるには、現在起きている現象が需要ショックであるか供給ショックなのかを識別することがまずは重要です。例えば2008年の金融危機は負の需要ショックと捉えられており、GDPやインフレ率の低下が観察されました。学部で学ぶAD-ASモデルで考えるならば、財政政策や金融政策によってAD曲線を右にシフトさせる景気刺激が必要になります。しかし、仮にオイルショックのように不況が供給ショックで起こされていたとするなら、景気刺激策は逆にインフレの加速を引き起こすのみで負の影響をもたらしてしまうかもしれません。
このコロナ危機は、需要ショックとして捉えるべきか供給ショックとして捉えるべきか、悩ましいケースになっています。仮に感染者の隔離や営業の自粛によって労働者が生産活動を行えないという側面を強調するなら、これは供給ショックです。しかし、所得を得られない労働者が消費を減らしてしまうと考えますと、これは需要ショックと捉えるべきかもしれません。両者で勧められる経済政策は全く逆になりますので、この違いを把握することは非常に重要です。
このコラムでは、主にGuerrieri et al.(2020)に従ってこの議論を解釈してくとともに、関連した実証研究についても述べていきたいと思います。結論だけ述べますと「コロナ危機はマクロレベルの需要ショックと捉えられるが景気対策の効果は小さい」となります。
コロナ危機はシンプルな経済理論では供給ショック
マクロ経済学者は実はAD-ASなど学部で教えるモデルを使っておらず、主に動学的一般均衡モデルというもので研究を行っています。動学的一般均衡モデルでは、家計や企業が将来の経済状態を考慮しながらミクロ経済学的な最適化行動を行った結果として景気循環を説明しようと考えます。一方AD-ASにおいて経済を描写する方程式体系は、上記のような最適化行動を明示的に考慮せずに導かれるものでした。今回のケースでは、主に旅行業や飲食業などface-to-face(F2F)産業にいる労働者が生産を行えないというショックを考える必要があります。失業した労働者と失業していない労働者がそれぞれどのような行動を選択するのかというミクロレベルの変化を具体的に捉えたいのですが、マクロレベルしか考えないAD-ASではこれが難しいため、動学的一般均衡モデルで考えるのが適しています。構造は簡単で、この経済にはたくさんの人々がいて、労働と生産を行っています。また、それぞれの労働者は得た所得のうち一部を現在の消費に回すか、貯蓄して将来の消費に回すかという選択を行っています。一番シンプルな場合として、全員が同じ財を作っているとしましょう。
この経済でコロナ危機は一部の労働者が突然働けなくなり、それに応じて所得もなくなったというショックとして導入されます。このショックはF2F産業を捉えるものですが、前述のように一見すると需要ショックとも供給ショックとも考えられます。このショックそれ自体はミクロレベルの経済変化ですが、Guerrieri et al.(2020)では経済全体への効果をマクロレベルの概念で捉えなおします。具体的には、金利が上がる圧力がある場合を供給ショック、金利が下がる方向に働くケースを需要ショックと考えます。実際に前者のケースでは、ゼロ金利などにより金利が動きにくい場合は、確かにモデル上で財政政策などによる景気刺激策が効果を持ちます。IS-LMとAD-ASを考えた場合には、負の需要ショックの場合はインフレ率と金利の両方が下がり、負の供給ショックの場合は両者が上がることを思い出されるでしょう。
さて、この労働者が働けなくなったショックを動学的一般均衡モデルで考えます。まず、働けなくなった労働者は、現在でもそれなりの生活と消費活動を行うために、貯金を切り崩すか借金をします。これは金融市場において貸し手が減るか借り手が増えるため、金利の上昇圧力をもたらします。つまりマクロレベルでは供給ショックと解釈されます。不思議に思われるかもしれません。この結論は働けなくなった労働者がいることは所与として、その上で経済の状態が供給ショックに相当するというものです。実際、仮に金利が上昇圧力にかかわらず動かないとすると、失業しなかった労働者は低金利のために貯蓄を少なくし、今日の消費を多めに行います。この行動は消費の加熱に相当します。
データは需要ショックを示唆している。
しかし、多くの経済学者は需要ショックであると推測しています。コロナショック後の人々の消費動向についてビッグデータを用いた研究が2つ出ています。Baker et al.(2020)はアメリカの銀行口座やクレジットカードを登録するとアドバイスをくれるサービスを提供するフィンテック企業のデータを分析しました。新型コロナウイルスの危険性が広まった3月初めには、買い占め効果のために消費が大幅に増加しました。しかし、3月中旬になるとF2F産業の支出が大幅に低下しています。興味深いことに、人々の移動制限が強く観察される地域ほどF2Fへの支出が低いという相関が観察されました。これは、ソーシャル・ディスタンシングにより購買が制限されていると解釈されるため、需要ショックと捉えられます。
また、Watanabe(2020)は日本のJCBカードのビッグデータを用いて、カード利用者の消費動向について報告しています。これによると、1月後半から3月前半にかけて、旅行やレストラン、交通、エンターテインメントなどを中心に大幅な消費の減退が観測され、全体でクレジットカード消費は14%減少しています。この統計では価格と数量の区別を行うことはできませんが、支出の大幅な落ち込みは、価格も数量も両方低下する負の需要ショックを示唆します。Watanabe(2020)は、他の需要ショックの理由として、エコノミストによる将来インフレ率の予想指数が低下していることも示しています。
2つの論文で注目すべきは、F2F産業とその他の産業で違う動きが見られるという点です。Baker et al.(2020)は、コロナ危機が顕在化する前と比べても、買い占めがひと段落した3月後半のスーパーマーケット等での消費は落ち込んでいないことを示しています。Watanabe(2020)も、スーパーマーケットのレジで記録されるPOSデータを用いて、3月初めの買い占め効果がひと段落した後も、スーパーマーケットの商品価格や支出は昨年と比べても堅調であることを示しています。上記のような動きは、マクロ経済レベルでは負の需要ショックが起きたものの、需要が落ち込んでいない産業や、むしろ一時的に需要が伸びた産業も存在することを示唆します。スーパーマーケットで言えば、買い占めが収まった後も外食というF2F産業を家での食事が代替するようになり、食料品の需要が増えたという効果が考えられます。コロナショックを理論的に解釈するためにも、この産業ごとの影響の差が重要になります。
影響を受ける産業を分ければ、コロナショックは需要の低下となる
Guerrieri et al.(2020)は、基本となるモデルを拡張してコロナ危機で生産が止まるF2F財と、そうでない財の2種類を導入しました。分かりやすいように、前者を旅行、後者をスーツケースと呼ぶことにします。この2つの財は補完的であると考えられます。スーツケースの購入自体は新型コロナウイルスの影響を直接は受けませんが、感染を恐れて旅行に行かないのならばスーツケースも必要ありません。(注:上記のスーパーとレストランの関係など個々の財では代替と考えられるものもありますが、マクロレベルで大まかな産業分類を考えると補完的であると実証的に知られています。)
モデルの上で、旅行産業が止まったとしましょう。最初の財を分けないケースのように、旅行産業で失業した労働者には借り入れを行うインセンティブがあるため、金利には上昇圧力があります。 しかし、補完性によってコロナの影響を直接には受けなかったスーツケースの需要も下がります。 この場合、買うものが少なくってしまうため、失業しなかった労働者も消費を減らして貯蓄を増やす行動に出ます。 これは金融市場で資金供給を増やすことを意味し、金利には減少圧力がかかります。 Guerrieri et al.(2020)は、資金の借り入れができない労働者が多いなどのもっともらしい条件下で、この金利の減少圧力の方が上昇圧力より大きくなることを理論的に示しました。 これはマクロレベルの需要ショックとして捉えられ、景気刺激策が効果を持つような状況です。 まとめると、仮に財の区別がない場合はコロナショックは供給ショックであるが、生産や購買制限の影響を受ける財と受けない財を区別して、かつ2つが補完的である場合には需要ショックが生じうることになります。
しかし政策の効果は小さい
それでは、景気刺激策が望ましいと言えるのでしょうか?興味深いことに、通常の需要ショックと違って、このケースは政策が有効ではあるもののその効果は小さいと考えられます。
通常のケースでは、財政政策を行うとそれによって収入を得た労働者がさらに支出を行うために乗数効果が生まれます。 動学的一般均衡モデルでも、ゼロ金利制約などにより金利が動きにくい場合はIS-LMやAD-ASのように乗数効果が生まれます。 しかし、コロナショックは確かに需要ショックと解釈されるものの、乗数効果が生まれません。 仮に政府支出が増加したとしても、旅行産業は止まっているためこれはスーツケースの買い上げに回されます。 すると、このお金はスーツケース産業の労働者に回ります。 しかし、この労働者はコロナによる収入減の影響を直接的には受けておらず困窮していません。 このため、政府支出によって収入が増大してもそれは貯蓄に回ってしまい、追加的に消費を増加させないのです。 この結論は仮に旅行産業の労働者に生活保障を与えても同様です。 このお金はそれ以外の産業に回るため、結局困窮していない労働者の所得となり、乗数的な効果が起きないのです。
まとめ
このコラムでは景気刺激策の必要性を考えるために、コロナ危機が需要ショックなのか供給ショックなのかを考察してみました。もう一度結論をまとめると、コロナショックの影響を受ける産業と受けない産業の財が補完的であるならば、これは需要ショックと捉えられるものの、経済政策の乗数効果が小さいとなります。背景となる理論と統計の示唆するところは、マクロレベルの需要か供給かという簡単な二分論ではなく、財や産業の違い、またその関連性を考えないと、コロナショックや政策の効果を理解することが難しいというものでした。一般にマスメディア等で言われる景気刺激についての議論を超えて、少し踏み込んだ分析が重要になっています。筆者の専門とするマクロ経済学では、今回のトピックの他にコロナウイルスの伝搬に関する疫学モデルを取り込んだ経済分析が、この数週間ほどで目まぐるしく行われています。経済学者は早急にこれらの研究と公表を行うとともに、専門的知見から今回の危機について言えることを発信していく責務があると考えます。
※ 本稿の作成にあたって、早稲田大学政治経済学部生の安藤拓海さんに協力をいただきました。また、田中聡史さん、片山宗親さん、浜野正樹さんにコメントをいただきました。感謝いたします。
文献
Baker, Scott R., R.A. Farrokhnia, Steffen Meyer, Michaela Pagel, and Constantine Yannelis, “How Does Household Spending Respond to an Epidemic? Consumption During the 2020 COVID-19 Pandemic,” University of Chicago, Working Paper, 2020.
https://bfi.uchicago.edu/working-paper/how-does-household-spending-respond-to-an-epidemic-consumption-during-the-2020-covid-19-pandemic/
(3月31日付)
Watanabe, Tsutomu,“The Responses of Consumption and Prices in Japan to the COVID-19 Crisis and the Tohoku Earthquake,” Working Paper Series, CARF-F-476.
https://www.carf.e.u-tokyo.ac.jp/en/research/4463/
(3月30日付、以下に紹介記事があります)
https://voxeu.org/article/responses-consumption-and-prices-japan-covid-19-crisis-and-tohoku-earthquake
Guerrieri, Veronica , Guido Lorenzoni, Ludwig Straub, Iván Werning “Macroeconomic Implications of COVID-19: Can Negative Supply Shocks Cause Demand Shortages?”
https://economics.mit.edu/files/19351
(4月2日付)